らいおんの瓶の中

手紙を海に流すように、いろいろな感想とか。

東畑開人『野の医者は笑う:心の治療とは何か?』

(2023/09/21 Tumblrからの転記)

誠信書房、2015

www.seishinshobo.co.jp

笑いをこらえられないから公共交通機関のなかで読んではいけない文章を読むの久しぶりだった。このユーモアのセンス、はやみねかおると同じものを感じる……! と思いましたがネタ本は高野秀行とのこと。『イスラム飲酒紀行』気になってたけどそういえばまだ読んでないな。

でもって、んっふふふふふふ……と延々笑ってたら突然透谷に接続してびっくりした(透谷のとの字も出てこないけど)。

 臨床心理学では伝統的に「無意識」という言葉を使うが、野の医者たちは「潜在意識」という言葉を使う。一瞬でわかる野の医者の見分け方だ。
 だけど、この潜在意識という言葉の歴史は面白い。

 兵頭晶子という歴史家は「潜在意識」という言葉の始まりについて、興味深いことを書いている※。
 明治の頃に近代科学が輸入されると、様々な事柄が合理的に説明されるようになった。だけど、精神が脳の働きだと説明されると様々な問題が出てくる。
 死後の世界はどうなるのか、キツネ憑きなどの悪霊に取り憑かれる病いはどうなるのか。そして神の存在はどうなってしまうのか。
 精神が脳の作用に過ぎないのなら、それらの聖なるものなど存在しないということになってしまう。全部、脳の作り出す幻想だということになるからだ。
 ここで潜在意識が登場する。普通の意識の現象は脳が作り出すものだが、潜在意識は精神そのものであり神と繋がっていると考えられるようになるのだ。こういうことだ。
 潜在意識には神が宿っている〔傍点〕。
 人間の外側の世界から神が消えたとき、人間の心の奥深いところに神が再発見されたのだ。つまり、「潜在意識」という言葉は、心の中に神様がいるという意味をもっているのだ(「無意識」の場合は、神はいないということが前提になっている)。(p. 166)

※兵頭晶子(2008)『精神病の日本近代:憑く心身から病む心身へ』、青弓社

修論に手をつけはじめた頃、国文の先生に透谷扱いたいんですけどって相談しに行ったら木股知史[編](2004、おうふう)『近代日本の象徴主義』をご紹介いただいて、「透谷の『各人心宮内の秘宮』って無意識とどう違うんでしょうね」と話を振っていただいたんだけど、これじゃん!

 

2023. 11. 23 追記

東畑開人、売れっ子なのにこの本はややアクセス困難な感じになっている……? と思っていたらちょうど文庫になっていたのか!

books.bunshun.jp