らいおんの瓶の中

手紙を海に流すように、いろいろな感想とか。

言葉の通じるひとを探している

以前、今このひととなかよくなりたいと思っていて、という話を友人にしたとき、なかよくなる前のよく知らないひと、の、何をもってして「なかよくなりたい」と思うのか聞かれて、そのときは具体的にそのひととこういうきっかけでこういう話をしたことがあって、と説明したのだけど、もうちょっと一般化できるなと気づいた。「言葉の通じるひとかもしれない、とおもうと、なかよくなって、通じる言葉で話せたら嬉しいな、とおもう」。「『人間』を素でやっているのではなくエミュレートしているだけなのではないか、とおもうと、エミュレーションではないコミュニケーションを取れる関係になりたくなる」とも言える。

よく知らない『人間』どうしで喋るとき、ひとは、非常に意味を狭められた、あるいは特殊化された共通(とされる)語彙で喋っている。でも、それが一つの特殊な語彙であるということに気づいていたり、もっと別な語彙をもっていたりしそうなひとだ、と思うと、その言葉で喋ってほしい、とおもう。同じ言葉をつかえる、あるいはそれぞれの違う言葉を一つずつ互いに確かめながら積み重ねてゆくことのできる相手でなければ、よく知ることも、なかよくなることもできないとおもっている。

 

もしかしたら、言葉が通じるとは思えないひとも、ちゃんと時間をかけて喋ったら共通語とは違う言葉をつかいはじめてくれるのかもしれないけど。