らいおんの瓶の中

手紙を海に流すように、いろいろな感想とか。

声の高さについて

工藤庸子「人文学の遠めがね」(羽鳥書店Web連載&記事 ハトリショテンだより)

8 続・女たちの声──'67年の記憶

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女子大から男ばかりの大学に移って、わたし、確実に声が低くなった。〔……〕男ばかりの大学に着任してから何年か、いつでも男ばかりの会議に出席していたのだから、発言のコンテンツが無意味な注目を浴びぬようするためには、高い声で逆撫でしないのがいちばん、と思ったのでしょうね、無意識のうちに意識的に、としかいいようがないのだけれど、いつのまにか低い声で話すようになりました。
 と、一気にしゃべったところ、その人は自分も声の高さにふと違和感を覚えたことがあると述懐し、要点を以下のように説明してくれました。要するに、日本の女性は「世界一声が高い」のですって! そしてドイツの女性は「声が低くなった」とのこと。周波数でいうと世界標準の男性の声の平均は110Hz、女性は220Hz(その差はほぼ1オクターヴ)だそうですが、ドイツの女性は平均165Hzであると。もっとも低いのは北欧だそうで、おわかりのように厳正な事実として、女性の社会進出と声の低さは連動することが統計的に証明されたことになる。
〔……〕
ヨーロッパの安定と世界の平和に貢献する責任があると自覚する女性がEU諸国には多数おり、若々しい中間層がこれを支えていることが、この数字からも実感されるではありませんか。だって、メルケル首相が銀の鈴のような乙女チックな声で、アメリカやロシアの大統領に電話したら、やっぱり笑ってしまうでしょう?

女は女らしく、男は男らしく、と説得あるいは強要しながら、性的な差異を極限にまで拡大させ、制度化したのは19世紀ヨーロッパのブルジョワ社会です。公共圏と親密圏での男女の棲み分けが奨励され、男と女の服装や髪形や帽子が徹底的に差異化され、そして男性は100Hz、女性は250Hzでしゃべっていた‥‥‥。
 むろん数値は空想だけれど、ありそうな話じゃありません? 最大化された性差を縮小させたという意味で、ドイツ女性の声は立派だと思う。ちなみに、これを「女性の男性化」と捉える向きもあるでしょうけれど、それこそ自分の立ち位置を普遍的な基準とみなす男性中心主義の典型でありましょう。

 

わたしは自分の声がコンプレックスである(、という話をあっちこっちでちょっとずつしているんだけど、どっかにまとめて書いたっけなと探してみたが見つからなかった)。 どうして自分の声が気になるようになったのか、そのきっかけをはっきり覚えている。アニメ声、と言われたことがあるからです。アニメというのは美少女アニメのことで、そんな「いかにもかわいい」方向性の声をしているのはかわいこぶってるみたいで恥ずべきことだ、という気がしたし、「消費してよいもの」とみなされ(う)るのもおそろしかった。かわいいことが価値であるとしながら、自分をかわいいとみなすことは恥ずかしい、悪いことだと刷り込むって、非常によく出来た自己肯定感毀損装置だと感心してしまうな。しかもその「かわいい」は商品価値なのだから。

松田青子『持続可能な魂の利用』 - らいおんの瓶の中

 

最近は低い声で喋ってるときと高い声で喋ってるとき、両方ある。どちらのときも無意識にトーンを変えているとおもう。たぶん母と喋っているときがいちばん低い声になっている。

頭つかってますよと示すときに低く、心をつかってますよと示すときに高くなっている気がする。