らいおんの瓶の中

手紙を海に流すように、いろいろな感想とか。

正気じゃない:2023エディション

最近の正気でなさは今まで困っていた正気でなさとは違うなあという覚書。

こういう感じで(このような原因により?)正気じゃなかったこと今までにないような気がして、おもしろいので、なるようになるのをなるべく手を加えずに観察していたい気持ちと、ふつうに何もできなくて困るのでとっとと終わってくれたらいいのに(どうせこんな異常な状態、長続きしないんだから)という気持ち。そしてそんなメタ認知は黙らせて、関心事に全力で関心を向けていたい気持ち。

小説やゲームの物語にどっぷり浸かっているとき、自分がいるほうの世界のことが嘘みたいに思える、あの自分にとってのリアリティの逆転が(あちらの世界にどうしたって行けない以上は苦しくもあるのだが)欲しくて生きているようなところがあるというか、あの感覚を抱かなくなったら今まで構築してきたわたしの価値観や人生はいったんおしまいを迎えたということなんだろうなと思うのだが、今全然小説もゲームも手につかなくて、なぜなら今ここの自分の自我を片時も手放せない、手放す気になれないから(なぜとかでなく生きていたい気持ちもわかったような気がするし、単に自我への執着がつよまったのかもしれない)。逆に詩は突然読めるようになった(気がする)、(これは詩に向き合う態度として合っているのかわからないけど)自分というフィルターを通して初めて意味を成す感じがして。

ここ数年、正気でいたい気がするんだけどじゃあ正気ってどういう状態だろうと考えていて、暫定的な定義を「自分がこれまで培ってきた価値観に基づく優先順位を見失っている、あるいはその優先順位を反映した行動を取れない状態」としてみているんですが、これ価値観の変更が生じたときのことを考慮していないんですよね。価値観が変わったのか正気を失っているのかの判断も、あとからふりかえって初めてつくのかもしれませんが。

 

参考までに、4年前(4年前!?)に正気じゃないときチェックリストを、今の正気でなさはそういう感じじゃないんだよなーと思いつつ該当項目があるか検討してみたところ、思った以上に当てはまっていた。

 

lioninthebottle.hatenablog.com

・部屋を掃除できない

→できてない。さすがに限界すぎて掃除機をかけることは稀にあるがはたきがけはほんとに全然できてない。

・先の予定や計画を立てられない

→ひとと合わせた予定とか仕事は入ってるんだけど、ずいぶん長いこと自分ひとりのために出かけてない……これは正気が云々というより余暇が足りてない。『君たちはどう生きるか』とか、気になってはいるんですが。

・他人に連絡を取れなくなる

→これはあんまりない! というか、今は定期的に人間と喋るチャンスが生じるように生活を設計している。自分えらい&喋ってくれてるひとびと本当にありがとう。でもそんなに頻繁に接触チャンスが巡ってこないひとには連絡取れてないかも……仕事の連絡も最近は対応に時間がかかってしまう(よくない)。

・ものを書いたり何か作ったりできなくなる

→ほんとに全然できてない。ただし短詩は出てくる。あとお手紙も書いてる。

今かなり気分で短詩をやっているのですが、定型という適切な大きさと形の瓶を探している間にちょっと血が固まるし、瓶に入れて封をするとそのまま歪めずにとっておけそうな気がして安心するのでよいです。良い瓶が見つからないときはシャーレに載せて置いておく。

・机の上に地層が出来る

→出来てる。半年前にかかったCOVID-19感染症の傷病金申請とか、いつ来たか忘れちゃった予防接種のお手紙とか、あと絶対出さないと本当に困るがまだ期限が先なので放置している書類とか……レシートは家計簿の該当月のページに挟むだけ挟んでおり、とんでもないサンドイッチみたいになってる。

・日々の記録がつけられなくなる

→もはや記録自体を諦めてる。月一の生存報告はできてない。睡眠記録は最近Pokémon Sleepでつけている。体重増やすのは諦めた。

・何かを始めるのに時間がかかる

→かかってる気がする。うん、かかってる。

・本が読めなくなる

→そのとおりです。

Twitterを眺めている時間が増える

→めっちゃ見てる。Twitterが死に体のせいでいろんなSNSに移住したからそっちもめっちゃ見てる。

・気づいたら一日が終わっている

→今日もそうだね。

・夜に寝られない

→今もそうだね。

・かなしくなる

→それはあんまりないかも。躁鬱という感じ。

・夜中に甘いものを食べる

→食べられるときに食べられるものを食べたほうがいいと思いませんか?