らいおんの瓶の中

手紙を海に流すように、いろいろな感想とか。

正気じゃない

以前、「短いダッシュと長い休憩をくりかえすんじゃなく、常にジョギングできるようになりたい」と言ったことがある。
これは「がんばること」を「走ること」に喩えたつもりだったのだけど、「正気を保つこと」だったのかもしれないなとふと気づいた。一週間ぶりくらいに、ちょっと正気が返ってきた気がしたからだ。

この機会に、わたしが「正気じゃなかったな」と思うときの「正気」とは何か、書き留めておく。

 

正気のとき

・部屋を掃除できる

隅のほうが埃になっているな、とかは正気でなくてもそこそこ気づけるのだが、掃除に取りかかれるのは正気のとき。

・先の予定や計画を立てられる

気になる美術展や映画をチェックして、この日なら空いてるな、と自分から出かけていくことができる。
スケジュール帳を開いて、ここまでにこれを終わらせて……自分の行動を決められる(計画どおりに進行できるかどうかはまた別の問題だけど)。

・他人に連絡を取れる

全くできなくなるということはないが、正気だと、必要な連絡を回したりするときの「えいやっ」というエネルギーが少なくて済む。

・ものを書いたり何か作ったりできる

文章を書いたり、絵を描いたり。
インプットもアウトプットも、正気を失っているとできなくなる。

 

正気でないとき

・机の上に地層が出来る

書類とか、レシートとか、何もかも、あとで処理することにしてとりあえず机の上に重ねてしまう。机の上が散らかっていればいるほど、メンタルが荒れているなあとわかる。

・日々の記録がつけられなくなる

三行日記をつけるようになってしばらく経つが、しばらく空白が続いている期間がちょこちょこある。これは正気を失っているせいなのだろうなと気づいた。
それと、昼夜逆転を改善しようと思って起床時間と就寝時間を書き留めているが、これもふと我に返ると途切れている。
あと、体重を増やしたくてとりあえず毎晩体重計に乗っていて、これはもう習慣になっているのでよっぽど酷いときでなければこなせるのだが、よっぽど酷いときは体重も記録できていない。

・何かを始めるのに時間がかかる

布団から出るとか、お風呂に入るとか、そういう日常的な行為の一つひとつに取りかかるのに、やたら時間がかかる。

・本が読めなくなる

読みかけの本があっても(「読みかけの本がない」という状況にあったためしはないが)、開く気分になれない。本だけじゃなく、漫画を読んだり、新しいCDを聴いたりもできなくなる。
結果、さらに机の上(および部屋の床)の堆積物が増える。

Twitterを眺めている時間が増える

ただしこれも、何かの作品を味わったり誰かの考えを吟味したりはできない。日常的な呟きを流し見ているだけ。
それでいて何かを見たいので、無為にTLを更新してしまう。

・気づいたら一日が終わっている

何もしてないのに!

・夜に寝られない

横になっても目が覚めているというやつではなく、布団に入れない。
布団に入るまでにやること(髪を乾かすとか、出した物をしまうとか)に取りかかれないせいでもあるし、何もしていないせいで「よし! 夜だ! 寝る時間だ!」という状態に入れないせいでもある、気がする。

・かなしくなる

ひとりでぼんやりしていると、ひたひたとかなしくなってくる。ひとりでいるのはたいてい夜中なので、本当はとっとと寝ればいいんだけど、寝られないのでこうなる。
急激な焦燥感に襲われて(心のなかで)わーっとなることもあるが、それは夜中とは限らないし、たぶん正気を失っているせいじゃなくて具体的にやるべきことができていないせいなのだが、それをできないのは正気じゃないからなのかも?

・夜中に甘いものを食べる

クッキーが好き。が、ちょっと重いな……という気分になってきて、そのうちマシュマロとかを食べはじめる。直近では氷砂糖を齧っていた。さすがにまずいのではと気づく。甘いものを食べている間はあんまりかなしくならずに済む。

 

各項目の、どれとどれが因果関係で、どれとどれが相関関係で……というのは、わかるような、わからないような。少なくとも、どれも何かしらのつながりがあるような気はする。

正気でないと、生存をやっていくことはできても生活と生に支障があるので、できればあんまりがんばらなくても正気を保っていられるようになりたい。

現時点のわたしにとっては、正気を保つのは、走りつづけるのと同じくらい大変だ。

 

「よいか、ここでは、おなじ場所にとどまっておりたければ、力のかぎり走らねばならんのじゃ。もしどこかほかの場所に行きたいのであれば、少なくとも二倍の速さで走らねばならんぞ!」
ルイス・キャロル[著]、脇明子[訳]『鏡の国のアリス岩波書店、2000)