中田香[訳]、2010(原2020)、作品社
ゆる読書会第2回終了しました!1時間ほどひとりで喋り、そのあと1時間半ほどはふたりで喋っています シンプルな話だと思いながら読んでいたけど、思ったより話したいことがたくさんあって、話せてよかった… https://t.co/WXy7glAXRj
— BOOKMARK非公式読書会 (@honwotakusanyom) 2023年11月11日
※BOOKMARKについて
TwitterIDや誕生日をID的にアイデンティティだと感じる感覚のこと
あんまりわからないなーと思ったけど、よく考えたら今のわたしは、実名のことID程度にアイデンティティだと感じている気がする。
わたしの下の名前は、特に同世代には本当によくある名前で、しかも今、下の名前(由来のあだ名)でわたしを呼ぶひとは血縁者とあと一人二人くらいなので、あんまりアイデンティティを感じていない。
一方名字については、わたしにとってこの名字は生まれてから今まで継続してわたしの名字なのだが、母がずっと、結婚によって自分の名字を変えるはめになったのを許していないことがわかっていたので、自分もこの名字にアイデンティティを見出すのが悪いことのような気がして、居心地の悪さがあった。
ただ、下の名前でもおかしくない音の並びであるために、ここ十年くらいは「名字+ちゃん」で呼ばれることも多く、それはそれであだ名っぽくてありがたく思っている(先日たまたま森絵都『にんきもののねがい』を読んで、わたしはこまつくんと違って本当に距離を詰めるのが下手で距離を置かれがちなだけですが、気持ちはわかるなー……とおもった)。
にんきもののねがい (にんきものの本) :森絵都/武田美穂 - 童心社
(「ちゃん」だったら誰から呼ばれても嬉しいとか、逆に名字(+さん)で呼ばれたくないとかはないです、呼び名というのは関係性によるものだから)
なので、姓も名も微妙に自分のアイデンティティを形成しているという感覚が希薄なのだが、行記号と列記号を組み合わせるとセルが特定できるみたいに、フルネームをID的なアイデンティティだと感じているなあと。
自己認識という意味ではもう、自分のこと実名では呼んでいないから。
自分のことを考えずに人に尽くすこと(を善とすること)
ウェイトレスの仕事のどういうところがいちばん好きかわかる? 働いていると、自分についてあれこれ思いなやまずに、人のことを考えていられるところだ。ほかの人の人生に何かを与えるにはどうすればいいのか、くりかえし勉強している。(p. 188)
これ、かなりつよめに価値観をお出ししている(そしてもしかしたら語り手、ひいては筆者はそのことに自覚的でないのではないか)と思ったんだけど、しかし実際この感覚もわかるなー……とあとからおもいました。
自分の存在意義を自己完結させるのは不可能なのではないか、というきもち。
望月淳『PandoraHearts』で、主人公・オズが(今その巻が手許になくて正確な引用ができないんだけど)「自分のためだけに生きられるほど人は強くないって、オレは思うよ」と言っていて、そうか、たしかにひとのために尽くせるひとはすごい、己ばかりをかわいがるのは悪いこと、と言われがちだけど、ひとのためになると感じられたほうががんばれたり生きようと思えたりするよなあって。
PandoraHearts | Gファンタジー | SQUARE ENIX