らいおんの瓶の中

手紙を海に流すように、いろいろな感想とか。

「正しい判断」

先日、遠方で一人暮らししている祖母と、久しぶりに電話で話した。
我が家の誰より元気そうで、安心した。
本当は、三月の下旬に会いに行く約束をしていて、さらに言えば昨年の秋に一度行っておきたかったのだけど、当分会えなくなってしまった。
世の中何が起こるかわからない。

祖母は週に何日か、デイサービスを受けている。
車で自宅まで迎えに来てもらい、施設で入浴の介助を受けたり運動したりレクリエーションをしたりする。
祖母の住んでいるあたりはまだ、COVID-19の感染者が出ていないようで、デイサービスも継続しているとのことだった。

デイサービスに通うようになってから、いろんなひとと接する機会が出来て、目に見えて祖母は元気になっていた。
だから、サービスが続いているのを知ってちょっと驚く半面、ほっとする部分もあった。

治療法が確立するまで、というのは無理かもしれないけど、せめて流行のピークが収まるまでは、このまま罹患するひとがないままデイサービスが続いてくれないだろうか……と願わずにいられない。
感染症対策だけを考えるなら閉鎖したほうがいいのだろうけど、ウイルス以外の理由でもひとは死ぬから。

祖母は一人暮らしだから、要介護認定を受けて、デイサービスに通うことができる。
身体の状態や認知機能の点から言えば、本当はもっと要介護度は下がるのだろうけど、それでデイサービスを受けられなくなったら、祖母の健康状態は著しく悪化するだろう。
今はまた元気になってくれたけど、もっと状態が悪くなっていた頃の、歩くときにわたしの腕に縋っていたことや、拗ねた子どものような表情を、わたしはたぶん忘れられない。
デイサービスで受けられる物理的な介助が助けになっているのはもちろんだけど、それ以上に、そこで誰かと日常的にコミュニケーションを取れること、名前のある一人のひととしてコミュニティに属していることが重要なのだ。

一方で、もし感染してしまったらそれこそ死に直結してしまうひとたちが集まっているわけで、本当に、難しい……。
たぶんデイサービスを提供してくれているひとたちも、毎日判断することを迫られて、その積み重ねで今日も「継続」が選ばれている。

誰にも正解はわからないって、こういうことなんだなあ。

 

※これは2020年4月28日にnoteに投稿した記事です