らいおんの瓶の中

手紙を海に流すように、いろいろな感想とか。

日記

祖父から譲り受けた(と考えられるが、記憶がない)万年筆を洗ってインクも詰め替えたというのもあり、ここ2週間ほど、たくさん日記を書いている。

「日記を書く」という習慣自体への好ましさと、何でもかんでも忘れてしまう人間なので書かないとぜんぶ忘れてなくなってしまうというおそれもあり、よく日記を書こうとしているんだけど、しばらく書いている時期とぱたっと書かなくなる時期を交互にくりかえしている。かれこれ20年くらい。*1

その書かない時期が一月半ば~四月半ばにあって、三月はたくさん時間があったはずなのに、全然何をしていたのか思い出せない……
と思ってSNSの投稿をざっと遡るなどしてみたが、情緒めちゃくちゃをやっていた、としか言いようがなさそうだ。

一昨日新聞で読んだ町田そのこの「心の底から哀しむにも、哀しむための体力がいる」というの、本当にそのとおりだと思う。自分の気持ちに向きあうには体力も時間も必要で、「日記を書く」というのが時として、その手段になったりする(逆にめちゃくちゃすぎて日記どころじゃなかったりもする)。

そのために割く時間も体力もない生活をしていたら、めちゃくちゃにふりまわされなくなるのかもしれないけど、それがいいのかわるいのかもわからないな。

 

町田そのこ おにぎり リターン - 日本経済新聞

www.nikkei.com

 

*1:2020年末頃の、直近でいちばん気持ちが追いつめられていたときに(死んだあと残っちゃうのが嫌で)それまでの日記は捨ててしまったので、今残っているのは2021年1月からの分だけだけど。……今死んだらこれ残っちゃうのか、どうしよ。