らいおんの瓶の中

手紙を海に流すように、いろいろな感想とか。

百円の砂時計

砂時計を買いました。百円のやつ。ずっと三分の砂時計が欲しいな、ちゃんと気に入ったやつを買うぞ、と思っていたのだけど、意外と出会えないもので、気に入るものを探したい気持ちよりも砂時計欲しさのほうが上回ってしまった。

家にいるとき無限に紅茶を飲んでいて、ちゃんと美味しく淹れるならきっちり時間を測るべきなのだけどアラーム音に気を散らされるのがいやだし時刻を覚えておくのもめんどうで、いただきもののよいお茶とかでないかぎり、いつも適当に淹れていた。砂時計は、少なくともじゅうぶんな時間は経過していることを静かに教えてくれるので、大変よいです。

 

さて、百均の砂時計を、二十年くらい前に母に買ってもらった記憶がある。それともお小遣いで買ったんだろうか。特に明確な目的も名目もなく、「砂時計というもの」が欲しくて得て、それなのに、家に帰って買い物袋から出した瞬間に、落として割ってしまった。惜しさとモノ自体の一抹の詩情(あるよね?)から、残った木枠を長いこと捨てられずにいたのだけど、この度得た百均の砂時計の木枠がどうも全く同じデザインのような気がして、二十年も同じってことあるんだ……。

二十年前の砂時計は中身がどんなだったか覚えていないけど、今度のは薄紅色です。