らいおんの瓶の中

手紙を海に流すように、いろいろな感想とか。

待ちわびた世界――『白銀の墟 玄の月』感想

小野不由美『白銀の墟 玄の月』、ようやく読みました。
続編を十年以上待っていた口ですが、あまりにも待ちわびていたからこそ、ちゃんと落ち着いて読みたかったのと、読んだら読みおわってしまうという緊張感でタイミングを掴みかねていた。
読めてよかった。この作品が出るまで生きていてよかった。

以下はネタバレ含むただの感想ですので、未読の方は今すぐブラウザを閉じてください。
十二国記〉シリーズにまだ触れていないのなら、『月の影 影の海』からどうぞ。
本をひとに薦めるのは、どれだけ良い作品であっても難しいものですが、このシリーズは本当に誰にでも、心からおすすめしたい。

 

 

以下ネタバレ

天井知らずの期待を寄せていたのに、それでも期待をはるかに上回る傑作だからすごい。
どうやったらこんなものが書けるんだ……と心底感服する。

我々(少なくともわたし)は麒麟ではない。だから、麒麟という存在の性質がもつ主への慕わしさは、本来共感できるものではないはずだ。
同時に(少なくともわたしは)武人でもないから、戴の民一般が王をこいねがうのとはまた違う、李斎たちの主君に対する忠誠も、自分自身の感情としてはもっていないはずだ。
それなのに、驍宗さまに生きていてほしい、再びあいまみえたいという願いがあまりにも痛切に、生々しく、わがこととして迫ってくる。
何かフィクションをみていて涙が零れたり、登場人物に貰い泣きしたりしたことは今までも何度もあったけれど、李斎たちが驍宗さまと再会したときの、身を震わせて泣くという経験は初めてだった。

(ちなみに2巻ラストの展開があまりにもショックで、3巻の途中まで半ば呆然としながら読み進めた……亡くなったのは驍宗さまではないと判明してからまだしばらく、心を立て直すのに時間がかかった……
刊行当時、「待てるなら3巻が出るまで待って読んだほうがいい」と話題になっていたのを、あとから思い出した)

そして、これであとは軍を率いて阿選を討つのみと思ったら、まさかの驍宗さまを奪われるという展開。
これはわたしのなかで勝手に「驍宗さまと阿選の対決がクライマックスになるのかな……」と予期していたこともあって(先王の時代に驍宗さまが一度野に下った理由、阿選が「驍宗は自分を歯牙にもかけていない」と思うようになったきっかけが、「阿選の前で恥じるところのない人間でありたいから」だったの……すごくないですか……)、心底びっくりしたし、絶望した。
1巻をひらく前は「バッドエンドなんてありえないから、どうやって泰麒と驍宗さまが再び国を取り戻すかという話なんだよな」と思っていたはずなのに、そんなことすっかり忘れていた。
本当のクライマックスは、泰麒と驍宗さまの再会だった。
あの瞬間、世界にあったのは「紅の眼」だけだった。

読みおえてから何度も、失われたものの多さが胸を衝く。
六年の間に失われた命。
「病んで」抜けたままもう戻らない命。
戦いのなかで失われた命。
それでも、「生き残った者の数」を数えるしかないのだろう。そのために戦ったのだから。
現実と同じように、作中でも、ひとはあっけなく死んでしまう。理不尽な苦しみにも遭う。
けれど、何もかもがむだになるわけじゃない。一つずつ積み上げた行いが、きちんと善果を結ぶことがある。それがこの作品の良さだと思う。
驍宗さまと轍囲のひとびととの絆が、驍宗さまの命運を救い、戴を救ったように。


蛇足、あるいは未読の方へ

ここまで読まれた方はたぶん、もうこの作品を読みおえていると思うので、今さら言っても仕方ないのだけど――

(現時点での私見では)解説は! 読まなくていい!

ラストまで読んだら、そのまま静かに本を閉じて、余韻に浸ってください。

端的に言うと、内容がない。
ひたすらつらつらあらすじを書き連ね、申し訳程度に、ありきたりなゲンダイテキモンダイテイキのようなもの、を添えてある。
新しい角度から読みを深めてくれるどころか、むしろ作品を矮小化していると思う。

下手な解説なんて、無益どころか、読後感を壊す害悪です。