2020、中央公論新社
(つい最近中公文庫にも入った)
(以下、2023/6/22 Tumblrからの再掲)
単行本で読んだんですが、単行本の表紙も公式サイトのあらすじ紹介も、びっくりするくらい本文にそぐわない気が……?
表紙はせめて緑の中の女の子たちであるべきでは。
閑話休題。
スペース配信聞いてくださった方、ありがとうございます。
6/17(土)20時〜
「ふたたび手にとる児童文学」フェアに並べている全ての本を、メンバーの音江鈴(@OTOE_Rin)と美甘樹々(@jujuMikamo)が語ります! 読んだことない本については、中身を勝手に想像して喋ります💭
二人のプレゼン×妄想力にご期待ください!
— 児童文学の森 (@JIBUNforest) 2023年6月17日
配信中はほぼ我々しかいなかったし(前半戦はリアルタイムで入ってくれてた方いらっしゃったな、ありがとうございました)リアクションを知るチャンスがないので、聞きましたよって言ってもらえると大変嬉しい(それを当のわたくしにお伝えくださったということは、それだけで「時間のむだだった……」などといったネガティブ100%の印象を抱いた可能性は低い、と判断してさしつかえないと思うので……知ってる人間が、自分のいない場で、自分じゃない相手と喋っているときの喋り方ってそれ自体なかなか知る機会がないので、知り合いで聞いたよってお伝えくださる方にとっては内容以外におもしろ加点が入るのだろうとは思いますが、それだけでも全然いいです、楽しく聴いてもらえたなら)。
ほんとはあの内容、企画に関わってくれたひとたちだけ向けに、内輪でのボイスチャットでやろうかなと計画していたんですが、せっかくフェアをやってくださっている以上、微力であろうとちょっとでも宣伝して、売上には結びつかないまでも認知度向上に貢献したいな……とスペース配信になりました。
とはいえ(すでに友人とよく音声配信をしている妹にはないのだろうと想像するが)、わたしのなかでは、スペース配信にしましょうと提案するのにちょっと葛藤があった。自分の声と喋りを商品化する覚悟をしなければならないと感じたから。
でも、なんで自分の声で喋るのを不特定多数の目(耳)に入りうる場所に置いただけで、それそのものも持ち主であるわたし自身も、それに値段をつけて売っているわけじゃないのに、商品になってしまうと感じなければならないのか?
なぜなら、この社会においては人間を客体化して値段をつけて消費するのは「おじさん」の特権であり、女性はその対象でしかないとする考えが、いまだ幅を利かせているからです。
わたしは自分の声がコンプレックスである(、という話をあっちこっちでちょっとずつしているんだけど、どっかにまとめて書いたっけなと探してみたが見つからなかった)。
どうして自分の声が気になるようになったのか、そのきっかけをはっきり覚えている。アニメ声、と言われたことがあるからです。アニメというのは美少女アニメのことで、そんな「いかにもかわいい」方向性の声をしているのはかわいこぶってるみたいで恥ずべきことだ、という気がしたし、「消費してよいもの」とみなされ(う)るのもおそろしかった。かわいいことが価値であるとしながら、自分をかわいいとみなすことは恥ずかしい、悪いことだと刷り込むって、非常によく出来た自己肯定感毀損装置だと感心してしまうな。しかもその「かわいい」は商品価値なのだから。
それなのに、わたし自身も、ちいさくてかわいい女の子を、客体としてかわいいと思ってしまうことを止められない。
というわけで、いちばん強く共感したのは宇波真奈のくだりでした、って言うことすら自意識過剰みたい、と思わされている。
声ってそうそう自力で変えられるものじゃないし、それ以前に本当のところは別に自分の声が嫌いでもなかったわけなので、積極的に自分の声をつかっていって自意識を破壊したいなあと思っている。「おじさん」はまだ消えそうにないし、実際のリスクすらそこらじゅうに溢れているこの世ですが。