らいおんの瓶の中

手紙を海に流すように、いろいろな感想とか。

写真の中に痕跡を残す

最近、ぬいぐるみをもっと連れあるこう、より正確には、ぬいぐるみを入れた写真を撮ろう、という気分になっている。
(ここで「淹れた」と誤変換したらお茶を淹れたくなったので淹れようか悩みはじめる、さっき夜ごはんを食べたばっかりで胃に余裕がないし、頭もじんわり痛いし。痛くなりはじめたところで鎮痛剤を飲んでいたのでじんわりのままだが。とりあえず水を飲もうね)

自分は何もかも忘れていってしまうと思っている(あるいは忘れしまうことについて昔からおそれを抱いている? なぜなのか、いつからかは思い出せないけど……ラルフ・イーザウ『盗まれた記憶の博物館』とかのイメージかな)ので、食べものとかの写真はとりあえず撮るし、風景を撮るのも好きなのだけど、撮られるのが非常に苦手である。いつから苦手なのかもよく覚えていないが、たぶん小学校高学年くらい以降なのだろう、小学生の頃の写真を見るとあまりにも屈託のない笑顔で写っていてびっくりする。単に自意識が肥大化しすぎたというだけのことなのだと思う。

で、最近風景や食べものの写真に、自分のぬいぐるみを収めて撮ろうという気を起こしているのは、写真に写した過去のなかに自分の痕跡を積極的に残そうとしているのだ(好きなサブカル作品のイベントなどの際に推しのぬいぐるみやアクリルを入れて記念撮影するのはサブカルのおたくになってからずっとしていたから、そのふるまいをひろげてつかえるようになったということだと思われる)。驚きである。なんでかわからないが、自己がこの世に存在していることを肯定しているようである。びっくりだ……。

余談。

自分が撮られるのが苦手なので、気にならない、あるいは撮られたい(自分の写っている写真を残したい)と感じるひとの気持ちがわからず、他人を撮ることにも関心がないのだけど、友だちと旅行とかに行ったとき、歩いている後ろ姿を撮るのが好き。そこにいるときの感じをいちばん上手く収められるから。隠し撮りみたいになってしまってあんまり良くないんだけど。

 

結局水を飲むだけにしました。