らいおんの瓶の中

手紙を海に流すように、いろいろな感想とか。

距離が離れたら当たり前に寂しい

日常の再設定

下の記事を数日前に拝読して、じわじわ、新しい日常のやり方を構築しようとしている。

note.com

こういうことはしない。
・状況を楽しもうとする
・「これを機に○○をやろう」と張り切る
(中略)
・時間を無駄に過ごしているととらえて不機嫌になる

短期決戦の闘いではない。今週末だけ我慢したらやり過ごせるわけではない。ゴールデンウィークまで頑張れば終わるわけでもない。
だらだらと続く。一時の祭りではない。長く続くのならば、それは日常と呼ぶべきだ。

 この記事自体というより、その一つ前の記事の「COVID-19の流行に伴う社会の変化は、たぶん一年は続くだろうと思っている」を受け止めるのに時間がかかってしまったので、じわじわ、なのだけど。

公衆衛生やら伝染病やらについて完全に無知な自分が持っていた、無意識の楽観に気づかされてしまった。

「しばらく経って状況が落ち着いたら」
「GWが明けて緊急事態宣言が取り下げられたら」

「そうしたら、あれこれしよう」
一時しのぎでどうにか過ごそうとしていた感覚を捨てるのが、大変だった。

 

遠くの親戚、遠くの他人

わたしは、ひととの心理的な距離を測るのがとても苦手だ。

苦手なぶん、社会的な紐帯が絶たれたり弱まったりすることがとても健康に悪いこと、そして、物理的に距離が離れると往々にして心理的な距離も離れてしまうことを、強く実感している。

だから、物理的に距離を置かれた今の状態では、いつもより意識的に、積極的に、社会との距離が離れていかないように工夫する必要がある。

つまるところ、会えていたひとに会えなくなるのは寂しいということ。

そして今は、「会えなくて寂しいから」を理由に、気軽に連絡を取ったり、つながりをこまめに補強したりしてもいいのだということ。

(本当はたぶん、今じゃなくてもいつでも、なんだろうけど、苦手なのだ)

 

一週間過ごしてみて

そもそもひきこもり気質で、体力もないし要領も悪いから、在宅だと外での活動や移動に時間とエネルギーを取られないのがすこぶる楽だ。

ただ、図書館の休館は、わたしの生活にとって脅威だ。
他の場所は、しばらくの間なら「行けなくて不便・がっかり」で済むけど、図書館は、かなり切実に。

そういう切実な場所が、ひとそれぞれに絶対にあるわけで(職場とか、わたしよりよっぽどさしせまっているひとがたくさん、たくさんいる)……何とか生き延びないといけないから、できる手は何でも打って、得られるだけの助けを求めて生きましょう。

だから、負担にならない範囲で、嫌にならない程度に、気が向いたら、どうぞよろしく。