らいおんの瓶の中

手紙を海に流すように、いろいろな感想とか。

まとふどな犬ふみつけて猫の恋

((あえてはてなブログの記事にするほどでもないんだけど、というようなハードルをなるべく下げるためにも)先日見かけた発言がずっと気になってしまっているので書いておく)

生きもの(※ヒト以外の)のドキュメンタリー番組に対して、繁殖期や交尾を「恋」と言い換えるな、という趣旨の発言だったのだけど、逆にそれが恋じゃなかったら何が恋なのか本当にわからない……
日常の言葉においてヒトの「恋」がそういう狭い意味でしかつかわれていないとは思っていない、どころか、ひとの数だけ物語の数だけ意味を拡げていって、もはやそういう意味ではつかわれていないといっても過言ではないのはわかってはいるし、だったらその指摘は的を射ていると言うべきなのかもしれないけど、根幹はやっぱりそこにあるのでは?

それよりも、「個体の保存という観点からは不利益になりかねないが種の保存に有利である行動」を「愛」と称するほうがよっぽど間違っているしやめたほうがいいと思う。

 

柳父章(1982)『翻訳語成立事情』、岩波新書

www.iwanami.co.jp

 

※記事タイトルは芭蕉の句です

https://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/haikusyu/neko4.htm