らいおんの瓶の中

手紙を海に流すように、いろいろな感想とか。

テントよりも象牙の塔に住みたい

今日、もし食べていくのに困らないとしたらスナフキンのような旅暮らしがしたいだろうか、できるだろうか、という話をしていて、たとえテントをはじめとする最低限の所有物があって夜露に濡れずに日々眠ることができたとしても、やはり家は欲しいな、という結論に至ったとき、わたしはナボコフの言っていた〈象牙の塔〉のあらまほしきことかな、と考えていた。

しかし、すべてを考えに入れたうえで、わたしはなおかつ非難の的となってきた象牙の塔を推奨しよう。といっても、それは作家の牢獄としてではなく定まった住所としてのことだ。無論、そこには電話があり、エレヴェーターもついていて、それで夕刊を買いに急いで降りることもでき、チェスをしようと友人が昇ってくることもできるとしての話である。友人がチェスをしにやってくるには、こちらの彫りつけた表札の形と材料がなんとなくものをいうのである。かくして、そこは窓から壮大な眺望がひろびろとひらけ、数多くの本といろいろ便利な設備がととのっている快適で涼しい場所だ。

ウラジーミル・ナボコフ[著]、野島秀勝[訳]「文学芸術と常識」、『ナボコフの文学講義』下、河出文庫、p. 377)

世間とも友人たちともつながりを保てて、自分の本を置いておけて、そしてひとりになれる場所で暮らしたい……!

 

 かくして、いま、彼は小説を書こうとしている。準備万端ととのっている。万年筆はたらふくインクを吸い込んでいる、家はしーんと静まりかえっている、煙草とマッチはとりそろえてある、夜はまだ浅い……われわれは彼をこの快適な状況に残して、そっと出てゆこう、ドアを閉め、そして途中、どしんどしんと足音たてて階段を登ってくる怪物じみた憎き常識に出会ったら、断乎としてやつを家から押し出してやろう。やつが出向いてきたのは、この小説は一般社会にふさわしくないものだなどと愚痴をこぼすためなのは分かりきっている、この小説はけっして、けっして……――まさにそのとき、やつがs、e、l、l〔=決して売れ(ない)〕という言葉を口にするより先に、欺瞞の常識は銃弾に倒れねばならない。

(同書、p. 394)

 

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