らいおんの瓶の中

手紙を海に流すように、いろいろな感想とか。

フィクショナルトーキョー

良いとか悪いとかじゃなくて、ただそうだというだけの話なんだけど、ずっと東京近辺で生きているわりに東京が故郷というわけでもなく、むしろ地球上のどこにも故郷だと呼べる土地がない自分にとって、歌や小説に出てくる「(故郷と対比される土地としての)東京」って、実在する知っている場所なのにものすごくフィクションだなあって、ちょうど今の季節の歌を思い出している。

わたしが聴いているのは鏡音リンver. ですが、夏代孝明さんが歌っているバージョンがYouTubeに投稿されているみたい。

 

でもってこの文章を書いたそもそものきっかけはプロセカに先日書き下ろされた「フロムトーキョー」だったんですが、まさかの夏代さんつながりでした。

 

あとこれ。

わたしが知っているのはプロセカのカバーですが。

 

探せば無限にあることはわかりきっているんだけど、わたしのなかでは、例えばこれとかも。『幽霊東京』とは対照的な歌だけど。

 

こういう、わたしにとってはお話のなかにしかないような場所として表象される「東京」が、リアルなひともいるんだよね、だからこれだけ歌われて書かれているんだよね、と思うと不思議な気分になる。ほんのりと奇妙な疎外感とともに。
わたしにとっては、「東京」以上に「故郷」がフィクションなんだろうな。