らいおんの瓶の中

手紙を海に流すように、いろいろな感想とか。

#出版物の総額表示義務化に反対します

わたし個人が、どういうところを問題だと思って出版物の総額表示義務化に反対しているのか、なるべくシンプルに書いておきます。

わかりやすく丁寧な説明は、ここを読んでいただければわかる。
「版元ドットコム」(出版社が協力して書誌データをオンライン公開しているサイト)の中にある2004年のブログです。

書籍が総額表示にできない3つの理由 | 版元ドットコム

 

乱暴ながら、ここで挙げられている「書籍が総額表示にできない3つの理由」をさらに簡単に言うと、

①本(などの出版物)には「再販制度(再販売価格維持制度)」があって、全国どこでも、何年経っても、出版社が最初に決めた本体価格で売られる。変えることはできない。だから、「税率が変わってもお値段据え置き!」というのは不可能。

②本は種類が多い。本屋さんは、ものすごくいろんな種類の本を、少しずつ並べている。もちろん、それぞれの本ごとに値段が決まっている。

③本は何年もかけてゆっくり売れていく。多くの本は、出版された頃に刷られた分がずっと書店や取次や出版社の在庫に残されて、そこから少しずつひとの手に渡っていく。その間に物価が変動しようと税率が変わろうと、本体価格は同じまま。そして、維持するにも、動かすにもお金がかかっていく。

①~③の理由から、今すでに存在するあまたの本を全て総額表示にするのも、その表示を消費税率が変わるたびに直すのも、非現実的なコストがかかる。
(きっと出版物以外の商品も、総額表示が義務じゃないほうが助かるんだろうなと思う。個人的には、どんなものに対しても総額表示を義務化する必要はないと考えている。ただ、出版物においてはコストが莫大すぎて致命的だということ)

たとえカバーを作り直すのは諦めて、一冊ずつ紙(スリップとか栞とか)を挟んだり、シールを貼ったりするにしても、ものすごいコストがかかるのは変わらない。時間も、労働力も、資源も。
しかも、税率はいつだってどうにでも変わりうる。そのたびに、今あるぜんぶの本に、同じ作業を施すことになる(現実には、ぜんぶの本に対してそんなことする余裕があるわけなくて、コストのほうがかさむと判断された本が捨てられることになる)。
……その物的・人的・経済的・時間的コストを、もっとすてきなことに使ったほうがよっぽどいい。

 

日本語でものを読み書きし、日本語でものを考えることができるこの環境は、いろんな出版社が出していろんな方法で読み手まで届けられる、日本語の本に支えられている。
出版されてから時間が経った本や、出版しても少ししか売れない本が姿を消していったら、日本語で営まれる文化も思考も、そのぶん貧しくなっていく。
(もうすでに、刊行から時間が経てば経つほど、どんどん本が手に入りにくくなっていっている)
たまたまだけどわたしは日本語を母語として生まれ育って、今、日本語でものを考えたり読んだり書いたりしているから、この環境を失いたくない。
母語で高等教育を受けられるというのが、どれほど恵まれていることか)
本の、そして出版社の多様性が失われるというのは、最終的にそこにつながっていてしまう。

 

今さらだとか、関係ない。今知ったのなら、今から行動すればいい。
声を上げることができて、良くないと思ったり間違っていると感じたりすることがあるなら、そう思ったときに、声を上げればいい。

というわけで、財務省の「財務行政へのご意見・ご要望の受付」はこちらです。

www2.mof.go.jp

2020/9/18 追記

総額表示が義務化されても、罰則とかがあるわけではないから、「本屋さんの本をぜんぶ出版社に送り返して、スリップを入れるなり何なりして、また本屋さんに送ってもらう。総額が表示されていない本は捨てられる」というようなことにはならない……という見解もあるみたいです。

でも、やっぱり、「総額表示させることで得られる、買うときのわかりやすさ」に、総額表示のためのコストは見合わないと思う。
そのコストをかけずに、今ある本は今の税別表示のまま、今後出る本はスリップなどで総額を表示することになると、むしろ価格表示はわかりにくくなって本末転倒だし。

「本の本体価格は変えられない」そして「本はずっと同じものが売られていく」のと、「税率はいつどのように変わるかわからない」ことから、わたし個人は、総額表示の義務化に反対します。