らいおんの瓶の中

手紙を海に流すように、いろいろな感想とか。

「もう子どもじゃないって思ったときって、いつだった?」

石井睦美『卵と小麦粉それからマドレーヌ』

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たまたま手に取った栞が、ピュアフル文庫の(今ではポプラ文庫ピュアフルだが)、『卵と小麦粉それからマドレーヌ』のこの台詞が書いてあるものだった。

(わたしは文庫本に挟まっていたり本屋さんで貰ってきたりする紙の栞を、お菓子の缶に溜めこんでいて、もはやくじ引き状態になっている。
この栞はよく見たら「1周年フェア」というマークが入っているから、ずいぶんな年季物だ)

「ねえ、じぶんがもう子どもじゃないって思ったときって、いつだった?」

石井睦美(2006)『卵と小麦粉それからマドレーヌ』ジャイブ、p. 4)

この本の、ひとりの特別な友だちとか、誕生日の本のプレゼントとか、明るく透明な空気とか、甘いマドレーヌの匂いが、初めて読んだときからずっと好きだ。

そして、作品全体を貫くこの台詞。

――モウコドモジャナイッテオモッタトキッテイツダッタ?

そしてそれは、不思議な呪文みたいに、わたしのからだをいっぱいにした。
(p. 11)

 この本のことを思い出すとき、いつもこのフレーズが最初に浮かぶ。「不思議な呪文」そのものだ。

 

この本の主人公が「もう子どもじゃないって思ったとき」については、ぜひ実際に本を読んでいただくこととして。

わたしが「もう子どもじゃない」と思った瞬間は、「自分ひとりで自分の行きたい場所に行ったとき」だったと思う。

高校生くらいまでは、お金や時間にあんまり自由がなかったという以上に、「自分が行きたいから」という理由で、自分ひとりでどこかに行くことができるということに、たぶん気づいていなかった。
(実際のところ、行こうとしても親に止められていた気はする。わたしが行きたがった場所に同伴してもらったことはあったと思うし)

高校を卒業してから、行きたいと思えばどこへでも行けるのだと気づいた。
お金や時間の問題はなくなりはしないけど、それは自分で越えられるハードルだった。

それから、行きたいと思ったところへたくさん行った。美術館でも、映画館でも、お店でも、公園でも。もっと遠くへも、泊りがけでも。

ひとりで味わう初めての景色は、どきどきして、鮮やかに印象に焼きついた。自分にしかない記憶のある場所ができるのが、嬉しかった。まるごと自分だけの時間は、水の中みたいに静かで深かった。

今、この呪文を胸のうちで転がしながら、心底思う。
出掛けたいな。
ひとりで、電車やバスを乗り継いで、遠くへ。自分だけのために。


追伸

ちなみにこの本には、数年後を描いた姉妹編『群青の空に薄荷の匂い 焼き菓子の後に』がある。こちらもおすすめ。

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それと、同じく石井睦美の作品で好きなのが『キャベツ』。

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ああ、コーヒーとサンドイッチを持って公園に行って、それからタルト屋さんで温かい紅茶とタルトでお茶をするデートがしたい!

(こういうときの「デート」というのは、いわゆる「恋人(あるいはそうなるかもしれないひと)とふたりで出掛けること」じゃなくて、心を許せる誰かと、すてきな場所で、同じ時間を共有することであって、何ならふたりじゃなくてもいい)

一緒にいて心地よい誰かと出掛けるのは、ひとりで出掛けるのとはまた違った特別だ。