らいおんの瓶の中

手紙を海に流すように、いろいろな感想とか。

教科書のなかの文学/教室のそとの文学II――中島敦「山月記」とその時代

日本近代文学館で開催されている、「山月記」と中島敦に関する企画展に行ってきました。

www.bungakukan.or.jp

 

 いちばん強く印象に残ったのは、中島から預かった原稿を「文学界」に掲載した深田久弥が、パラオにいる中島に宛てた、原稿用紙1枚ぶんの書簡。
てきぱきと用件が連ねられた最後に、罫線からはみ出る大きな字で書かれた、「次作を待つ!」という言葉。
文芸誌への投稿が3度も撥ねられていた中島にとって、この言葉はどれほど力強く、温かく響いたことだろうと、勝手にじんとしてしまう。

そして、その言葉とおり名作を生み出していったものの、同じ年のうちに亡くなってしまったこと。

もちろん「山月記」ひとつとっても溢れる才能が伝わってくる恐ろしい作品だけれど、漢籍のみならずラテン語ギリシャ語まで勉強していたとのことで、もし生まれた時代や境遇が違ってもっと良い治療を受けられていたら……と詮無いことを思ってしまった。そうなっていたら、そもそも中島敦という作家も彼の作品も、生まれなかったかもしれないのにね。

 

それと、見ていて楽しかったのが、長男へ宛てた葉書。愛情がこもっているなあと。
いるかはふざけんぼらしいです。

 

横浜高等女学校での教え子たちによるエピソードはすごかった……。
朗読が上手くて授業が楽しみだった、まではまあいいのだが、固定ファンがついていて中島の授業のときだけ教卓に赤い薔薇の花を飾り、次の時間には片していたとか。「中島先生のためのお花だから」って。すごい。

  

展示されている一次資料は全て複製なので、中島敦の直筆原稿そのものなどは見られないのがすこぶる残念ですが……私は中島敦に詳しくないので、勉強になりました。

 あと、「山月記」をモチーフにした作品ということで『幻実アイソーポス』の「タイガーランペイジ」が展示ケースで紹介されていて動揺した。
わたしがボカロを聴くようになったきっかけは、鏡音リンちゃんなのです。

 

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