らいおんの瓶の中

手紙を海に流すように、いろいろな感想とか。

CALL ME BY YOUR NAME

映画『君の名前で僕を呼んで』を観てきました。

この記事のタイトルは英語ですが、日本語字幕付きで観たし、使用言語については「英語だなあ」「フランス語だなあ」「たぶんイタリア語だなあ」くらいの区別がついたくらい。
というわけで、日本語字幕に頼った理解です。簡単な単語くらいなら聞こえたけど、それだけ。

 

映画『君の名前で僕を呼んで』 | 4/27(金)TOHOシネマズ シャンテ、新宿シネマカリテ、Bunkamuraル・シネマ他全国ロードショー!

 

※以下で内容にがっつり触れていますので、まだ観ていない方はご了承のうえお読みください

 

評判になっているらしいと知って興味を持ったのですが、どこらへんが評価されているのかとかは知らないまま、ほとんど前知識ゼロで観た。
その結果、最大の感想が「恋愛映画だなあ」。
(個人的な好みとして、あんまり恋愛ものに関心がないので……) 

一見して意味の取れないような遣り取りもカットもなく、きれいに整合性が取れていてむだがない。と感じた。
作品全体をモチーフとして貫くアプリコット(冒頭でその意味にはっきりと触れている)も、登場人物たちの言動や関係性も(主人公エリオとその恋愛の相手オリヴァーがユダヤ人としてのアイデンティティを持っていることさえ)、時代や地域、季節、ファッションを含めた舞台背景が生み出す映像美も。
綺麗で、理想的で、やさしい。

わたしは映画を観てわからないなあと思い、何がわからなかったのかを考えたい人間なので、これはどちらかというと誉めていないのだけれど。

(わたしの見方が甘いだけで、本当はもっと感じるべき、あるいは考えるべきポイントはあったのかもしれないとは思う。
特に時代背景と、自分が何人であるかというアイデンティティについては、ものすごく理解が浅いから、たぶん読み取れていないニュアンスがある)

(ちなみに、純粋に視覚的に美しい映画であることには異論はない。まず北イタリアの夏を撮って美しくないわけがない……のだけれど、秀逸だった)

映画は、この作品が80年代の北イタリアを舞台にしていることをくりかえし強調しているけれど、主人公の両親は息子の恋をごく自然に、親身に受け止め、理解を示している(それが極めて例外的な対応であることは、オリヴァーからの最後の電話でわかる)。
それがすごく、優しい。優しい世界だ。こうやって愛されて、広い教養を与えられて育ったから、エリオはこんなに繊細で聡明な人物になったのだろうなと頷ける。

ただ、オリヴァーが帰国したあとで父がエリオに、悲しみを素直に悲しみなさい、というようなことを話す。
それはちょっと、映画として易しすぎるような気がする。いち登場人物の台詞で言語化してしまうのではなくて、映画全体で伝えてほしいことのような。
いや、こうやってちゃんと話してくれるところまで含めて、この両親のあり方なのだろうけど……

例えば、両親が、エリオとオリヴァーの関係を察しつつも、表面化させたくなくて/口を出すべき問題ではないと判断して、気づかないふりをしていたら。
そっちのほうが、全然やさしくない作品になってしまうけれど、わたしの好みだったかもしれないなあと思う。
誰にも言わないままひっそりと失恋の痛みを抱えているほうが……少年少女は秘密を抱えることで大人になる、と『クローディアの秘密』(カニグズバーグ)でも言っています。あれは女の子の話だけど。

エリオのガールフレンド(未満)の、マルシアも優しい。
最初の出会いが夜の水辺で終わったものだから(それと、自転車がたくさん出てきて何となくトリュフォーの『あこがれ』を思い出していたから)、勝手に、この子は死んでしまうんじゃないだろうか……と思いながら観ていた。
ところが全くそんなことはなく、もっとずっとタフだった。
秘密を抱えて大人になる、というのならマルシアこそがそうだったのかもしれない。
自分の痛みをエリオに告げず、一生の友だちでいようと手をさし出すマルシアは、ものすごく優しくて、強い。
彼女もこの夏の失恋を、一生忘れないで抱えていくのかなあと思う。

オリヴァーはどうだろう。エリオとの恋を、本当に忘れないでいるだろうか。
わたしは、忘れないだろうと思う。少なくとも、彼自身は忘れないつもりだろうと思う。
最後の電話で、オリヴァーは、お互いのことは忘れて前に進もう、と言うこともできたはずだ。大人として。
それでも「忘れない」と言ったのは、エリオに自分のことを覚えていてほしかったからだろう。
自分は他のひとと結婚するくせに、ひとりで終わりを決めたくせに、そんなことをするのはずるい。でも、ある意味では誠実さの表れでもあったんじゃないだろうか。それだけ本気で、エリオに恋をしていたという。

ラスト、暖炉の前で涙を流すエリオに向かって、画面の向こうから「エリオ」と呼びかける声がする。
エリオのことを、あの名前で呼ぶひとはもういない。もう二度と、エリオが彼の名前で呼ばれることはない。
その最後の最後の演出が、いちばんぐっときたところでした。

 

……それが主題ではなかった気もするけど、大人になることについてばっかり書いてしまった。
わたしにとってはそういう作品だった、ということかな。
そういえばオリヴァーもエリオに、"Grow up."と伝えていたっけ。